役行者と伝説 修験道と天狗
修験道では、大峰山を開山したとされる役行者(役小角)を開祖とするが、
これも修験者たちが次第に結集し
組織化されるようになるにしたがって
不動の地位を得たものであると考えられます。

各地の山岳に依拠する修験の間では、
白山の泰澄、出羽三山の能除大師、
日光の勝道上人、英彦山の法蓮などをはじめとして、
役行者以外にも開祖・開山を求めている場合が多く、
そうした開山とされる人物自体も、
当時多数の修行者が存在した中の
傑出した人物とみる方が妥当な見解といえます。

また、教義や教理は、
一般に教義が神の啓示、神の教えと理解されるのに対し、
修験道では他宗教でいうところの教理や教義はなく、
修験者自身が修行の中から体得するところにその本義があります。

たしかに修験道教義と称されているものもあるが、
しかしそれらの多くは、
修験者の修行・衣体・儀礼・法具などを解説したもので、
密教理論によって説かれたものが多いといえます。

また、『今昔物語』に表れている天狗観は
仏教の異端者としての山岳修行者と密接な関係を持ち、
それも古代の国家仏教の立場からは
禁止されるものであった方術・蠱道・巫術などの
大陸伝来の呪術を背景としているのではと考えられます。

中世にはいると、山霊や山の妖怪とするものから
より人間味を帯びたものになり、・・・法師・・山伏・・
『太平記』などには「天狗山伏」という言葉がみられるように、
天狗と山伏が一体化することになります。

また、謡曲『鞍馬天狗』には英彦山の豊前坊、
白峰の相模坊、大山の伯耆坊、飯綱の三郎、
富士の太郎・大峯の前鬼・葛城の高間をはじめ、
比良山高尾山・愛宕山・鞍馬山などの修験の山々を
すみかとする各種天狗が出現します。

室町後期から近世初頭に成立したとされる『天狗経』には
大天狗として四八天狗の名が診えるようになり、
それらの天狗の住処の多くは修験道の山であります。

修験道の治病活動は、
大きく二つに大別することができる。

そのひとつは薬事療法であり、
他方は一般に加持祈祷と言われるように
超自然的存在を作用させることによって病気を治す方法であります。

まず薬事療法の中では、吉野大峰山の「陀羅尼助」が
修験道の開祖役小角の作り始めたと伝えるほか、
九州の英彦山で「不老円」など・・・
医学に知識を身につけて薬草を採取し、
薬を作ることを盛んに行っていたようです。